チョコレイトと秘密のレシピ

※この物語はフィクションです。

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今日も仕事を終えて、帰路に着く。

毎日頭も体も回し過ぎて、そろそろ油ささないといけないかも、なんて脳内でギシギシと軋む歯車を想像しながら、同じく軋む肩を2回まわす。

大好きなアーティストの歌声を耳に落とし込んで、見た目より重いバックを肩にかけ、いつもの帰り道を歩く。

 

 

ふと、いつもは目につかない看板が視界に入り足を止める。流れるような筆記体はもはやパッと見ただけでは読み取れない。ショコラティエ…?こんなおしゃれなお店、いつからあったっけ。いつも足元ばかり見て歩いている証拠だなぁ、なんて反省しつつ、なぜか惹かれるこの看板。まだ営業はしているみたい。興味本位で、覗いてみようかな、でも他にお客さんもいないし、入ったら買わないといけないかも…なんて可愛くないことを考える。

 

 

 

そんな時、店内のショーケースの向こう側に見えた横顔に、自分の心臓がうるさいくらいに弾み出した。ライトに照らされてキラキラ光る茶色の髪と、下を向く瞳、スッと通った鼻筋に、何故か少し尖っている唇。

ショコラよりも、その奥の彼に目がとられて動けない。稲妻が落ちたような衝撃と、まだうるさい心臓。

 

 

何分立ち止まっていたかわからない。とにかく目が離せなくなって、時間が止まったような感覚だった。そのわたしの中の永遠のような時間を元に戻すかのように、下を向いていた横顔がパッと上を向き時計を確認している。その瞬間、視界にわたしの姿を捉えたのか、くるりとこちらを向き、ふわりと微笑んで会釈をした。

固まってしまっていたわたしも、ハッと我に帰り会釈する。いつもだったら恥ずかしさに負けてそのまま逃げるように駆け出してしまうかもしれないが、ゆっくりと彼がドアに近づいてくるその様を、スローモーションのように捉えて眺めてしまった。

 

「こんばんは」

見た目より落ち着いた声色と、ぶつかり合う視線に、わかりやすく全身が熱くなる。

「少し見ていきませんか?そろそろ店閉めちゃうんすけど…」少し眉を潜めて上目遣いのようにこちらを見るなんて、そんなのずるい。断れるわけがない。し、そもそも断る理由がない。そういえばあの子そろそろ誕生日だからプレゼントにいいかもな…なんて、自分を後押しできるような理由をぐるぐると考えて、スイッチを切ったはずの脳内の歯車が、またくるくると回り出す。こんなときばかり動きが良い。

 

『じゃあ、少しだけ』

負けたわけじゃない。最初から行こうと思ってたし?うんうん。なんて、よくわからないことを言い聞かせながら返事をする。「うお、やった」なんてまたくしゃっと笑う彼に、変な声が出ないよう精神を落ち着かせながら店内に入った。

 

 

 

決して広いとは言えない店内は、殆どがショーケースに占められているが、その中は眩しいくらいに照らされている。その中に、凛と輝くショコラがポツポツと並んでいた。

「すいません、だいぶ少なくなっちゃってて」同じようにショーケースを眺める彼は、申し訳なさそうに、でも少し嬉しそうに話し出す。

 

一週間前にオープンしたばかりということ。

彼はまだ見習いで、作っているのは他の人だということ。

ショコラティエという肩書の割にはフランクで、少し若者言葉が入っているような砕けた口調で話す彼と、相槌を打つのに精一杯のわたし。

 

「今日は何かプレゼントとかですか?」

『そうですね、お友達の誕生日が近くて』

というのはただの言い訳、なんてのは内緒にしてなるべく平然を装い答える。「そうなんですね!でしたら…」そう言って彼は、今まで後ろに組んでいた手をショーケースの中に差し込む。

「こちらはオレンジピールの入ったショコラでして、女性には人気ですよ」

彼の目線や手先を追いかけようと視線を動かすと、綺麗に揃えられた長い指が、コロンと小さくて可愛らしいショコラを案内する。指綺麗だな…なんて邪念を振り払うように頭を振って、絞り出すように返事をする。

 

 

何個かおすすめを聞いて、それをそのままセットにしてもらい、お会計をする。

『閉店間際にすいません、いいプレゼントが買えました』

なんとか出した渾身の言葉は、届く前に床にこぼれ落ちてしまうのではないかと思うくらい、小さくてゆらゆらと不安定だった。

レジを打ちながら彼は、「いえいえ、全然大丈夫っすよ、良かったです」と照れたように笑った。

 

そっと両手を添えられながら差し出されたお釣りに少し手を震わせながら、ショコラも受け取りドアに向かおうとすると

「本当はダメなんすけど」急に声が聞こえ肩が飛ぶ。

「もう店閉めますし、これ廃棄しちゃうんで、よければ持ってってください」

差し出されたのは瓶に入った可愛らしいショコラ。

『え、悪いです、お金払います』

「いや本当いいんすよ、今日もし残ったら持ってけって言われてたんで、俺」

片目を瞑り、困ったように笑う彼に、半ば無理やり瓶を渡される。

『えーそんな…すいません…』

強引さに負けて受け取る。瓶の中で、カラリとショコラが鳴った。

 

「その代わり」

 

続く言葉に予想がつかず、少し眉を潜める。

 

「また来てくださいね。

今度はお客様ご自身へのプレゼント用で」

 

柔らかく、ふわりと、でもちょっといたずらっぽく笑う彼に、また心臓がうるさく弾んだ。